2025/12/26 00:00

人を導く立場に立つと、

不思議と自分のことを
語らなくなっていく。

過去の経験も、
苦労話も、
どんな道を歩いてきたかも。

話そうと思えば話せる。
でも、
話す必要を感じなくなる。


語らなくなるのは、
隠したいからじゃない。

語ることで、相手の感覚を奪ってしまう
と知っているからだ。


言葉は便利だ。
説明すれば伝わる。
物語を語れば納得も生まれる。

でも同時に、
言葉は「答え」を先に置いてしまう。

導く立場の人ほど、
その危うさを知っている。


人は、
自分で辿り着いた感覚しか
本当の意味では受け取れない。

誰かの言葉で理解したつもりになっても、
それは借り物だ。

だから、
語らない。


語らないというのは、
何も与えないことじゃない。

余白を残す という選択だ。

相手が
自分の感覚で立つための余地。


人を導く立場に立つと、
称号や肩書きが集まり始める。

「先生」「導師」「師匠」
そう呼ばれることもある。

でも、
本当に整っている人ほど、
その呼び名に寄りかからない。


語れば語るほど、
人は集まる。

でも同時に、
依存も集まる。

答えを預けたい人。
決断を任せたい人。
責任を置いていきたい人。

それを受け取らないために、
語らない。


導くとは、
前に立つことじゃない。

横にも立たず、後ろにも立たない
ただ、
境界に立つことだ。


自分を語らなくなったとき、
残る人は少ない。

でも、
残った人は
自分の足で立っている。

それでいい。


もしあなたが、
「語りたくなくなった」
と感じているなら。

それは、
伝える力を失ったのではなく、
預けない力が育った ということだ。


導く立場に立つ人ほど、
静かになる。

それは衰えじゃない。

成熟だ。

私は、
その静けさを選んでいる。

── しめ縄
縁導師:コウキ